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韓国のアリラン、日本に渡って五木の子守歌になる[05/28]
【日韓】 韓国のアリラン、日本に渡って五木の子守歌になる[05/28]


【ソウル=ニューシス】ユン・ソフィの音楽と旅行<50>
(前略)地震や津波など自然災害に絶えず気をもんで生きなければならない日本だからか?都節(訳注:主に江戸時代の都会で行われた音楽の旋律または音階)音階がある日本の民謡は韓国民謡に比べて露骨に悲しみを表わす。外部の侵入がなければ大きな心配がない韓国だとどうだろう?私たちの民謡は悲しみを表わしても揺れる拍子に非常に楽しさや躍動性がある。民謡のこのような性格を見る時、韓国の情緒を「恨(ハン)」と言うのは適切な解説ではなかったかもしれない。

「五木の子守唄」はもともと2拍子
戦後の昭和25年(1950年)に、作曲家古関氏が編曲して大ヒットしたのが3拍子の「五木の子守唄」


韓国民謡が半音がない五音音階であるのに比べて日本の都節音階は五音中に‘ミファ’と‘ソド’の半音が続けて二つもあると二音階になった歌はしなやかながらもひどく哀調をおびることになる。
だが、日本の多様な民謡を見れば私たちの民謡と同様‘ソラドレミ’、‘ミソラドレ’の五音音階に震えて折って揺さぶる発声法がさらに多い。

面白いことに韓国は湖南地域、慶尚道地域など各地域ごとに独特の個性を持つのに比べて船に
乗って全国を歩き回る日本では全国の民謡がほとんどそっくりだ。だから日本人に「君たちの国で南や西や東や民謡の特徴は?」と訊ねれば「沖縄地方のように独特なところ除けば、全国の民謡はよく似ていて日本には‘土理’(訳注:その土地固有のもの)という概念がない」と答える。代わりにある地域で祝歌と呼ばれるものが他の地域では労働歌と呼ばれ、同じ旋律に歌詞が少しずつ違う程度の差があって、あえて音楽的差をあげるなら有拍節である八木節グループの歌と無拍節と呼ぶ江差追分グループの歌がある。

山口県の民謡と韓国の慶南地域の民謡を比較した時、その友人の話を実感した。素朴な日本民
謡の音調が韓国とあまりにも似ていて驚いたことがある。こういう姿に対するときは韓国民謡だけが折ったり震えて哀調をおびるというのは無意味な説明という気がする。なぜならば民謡のこういう性格は韓国だけでなく日本と中国、チベットなどアジアのどこでも見られるためだ。
(中略)
八木節と追分以外に代表的な日本の通俗民謡をあげるなら「五木の子守歌」と「サクラ サクラ」がある。五木の子守歌は朝鮮遊民が歌ったアリランが日本化されたのだそうだ。(中略)「私が死んだら道の端に埋めてください。通り過ぎる人が花を投げてくれるの」という歌詞で始まる五木の子守歌の歌詞を見ればキム・ソウォルのチンダルレが連想される。そのメロディを聞いてみれば韓国の民俗調アリランと似ているうえに拍節調が3拍子となじみやすい。

事情を聞けば壬辰倭乱の時、日本に連れてこられた遊民が故郷へ帰れずに森の中に隠れて暮ら
し故郷を描く歌を歌ったが、それが江戸時代末期から貧しい女性たちによって境遇を嘆き調子の子守歌になったということだ。そうするうちに1945年、日本が戦争に敗れた後NHKラジオを通じて五木の子守歌が頻繁に放送されて全国的に広まった。この歌の悲しい音調や歌詞が当時の日本の人々の情緒とよく合致したのだ。
(後略)

作曲家・音楽人類学博士

ソース:ニューシス(韓国語) 韓国アリラン、日本に渡っていってイツキ子守歌なって
http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20110526_0008312864&cID=10604&pID=10600

【インターネッツより励ましの弾幕】

韓国人が時系列とか因果関係を理解できる日は来るのか?

演歌自体が韓国起源言うてるしな(棒)
ホントに文化強盗国家だ

> 事情を聞けば壬辰倭乱の時、日本に連れてこられた遊民が故郷へ帰れずに森の中に隠れて暮ら
> し故郷を描く歌を歌ったが

でも、ソースが脳内にしか無い

津軽と薩摩じゃ言葉通じないほど方言の差が激しいのに、どこの日本人に聞けば「日本にはその土地固有のもの」がないと答えるんだw





逆もありとは考えないのかね、朝鮮人というのは。
加藤清正によってもたらされた五木の子守唄がアリランになった可能性もあるんだが。
ソースは俺の脳内。

韓国人は、もっと卑劣で、したたか。(情報戦の一環なんだけど、日本人は馬鹿だから気づかない)

日本人が幾世代もかけて作り上げてきた功績を、起源主張とコピーにより、
そっくり韓国人のものにしてしまえる。
日本への好印象が減り、その分、韓国の文化国家としての地位が向上する。

こんな、うまい手はない。
彼らが盛んに起源をアピールしている欧米の人々は、異文化なので簡単に騙せてしまう。

>拍節調が3拍子

「五木の子守唄」はもともと2拍子
戦後の昭和25年(1950年)に、作曲家古関氏が編曲して大ヒットしたのが3拍子の「五木の子守唄」
ソース(BS朝日の番組)

モンゴル支配の後、高麗から李氏朝鮮への移行期に、民族の入れ替わりがあった。
高麗人と朝鮮人は、明らかに別の民族。
……このあたりの研究が、まったく存在していないことは異様すぎる。

朝鮮人は穴居、打製石器の使用、染色や車輪・タル、灌漑などの日常的な古代技術を学び損ねるなど、
シベリア狩猟民族の「獣臭』を強く残している。
また、高麗人とは、言語的な関連が皆無。

BSの五木の子守唄の特集番組で、唐突に哀愁があるメロディだから朝鮮のアリランが起源でしょうとか
ちゃんとした理由も言わず毒撒き散らしてたぞ
なんなんだろうなあこれ

アリランが3拍子と言うのが根拠だから、原曲が2拍子の時点で終了じゃん。

四拍子演歌はマイナースケールのペンタトニックを利用しており、
クラシックの影響が大きいとされる(西洋音楽+民謡)

ただし、日本の演歌の源流の一人である古賀政男が少年期を朝鮮で過ごしているので、
三拍子演歌は朝鮮民謡の影響を受けていると言われている。

つまり、五木の子守歌を三拍子に編曲したとき、古賀メロディの影響を受けていると言う話かw

小学校の頃に音楽の授業でアリラン歌わされるわ
教科書の君が代のページに藁半紙糊付けさせられて封印させられるわ
クソみたいな記憶が蘇ってきた。

アリランって単語見るだけで不快だ。

小・中と民謡習ってた俺としては、ただ旋律だけ聞いて「日本の民謡は悲しげ」とかバカも休み休み言えチョン、としか
日本の民謡は、豊作・豊漁を祈る歌、祝う歌、富を築いた喜びの歌、地域の自然豊かな恵みを誇る歌、恋の歌等色々あるんだ
民謡の旋律だって、ゆったりしたのばかりじゃなく、アップテンポのものだって多い。南部俵積み歌とかノリノリで風呂場で歌っちゃうぜ

悲しみ妬み恨みの歌が多い朝鮮が、日本の民謡を語るなよ。というか、音楽なんて高等な文化が朝鮮にあったのが驚きだ

五木ひろしの持ち歌の一つかと思ったが、民謡だったのか
一部分に似ている箇所があるから起源主張する手口はもう飽きたぞ
by r1go | 2011-05-29 09:57 | 韓国の侵略


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